メランこリックな高齢化社会
先日、愛知国際ホスピスの初代看護師長 水野敏子先生と少しお話しをさせて頂いたのですが、
身近な問題として独居老人が激増し、独り寂しく亡くなっていく方が多く見られるとの事です。
病院や「かあさんの家」で亡くなる事を許された方達が、
どこで終焉を迎えるのが幸せか等と話されているが、それは問題ではない。
選択の余地がある方はまだ良い。
それより心が痛むのは、帰る家族(身寄り)もなく、また金銭的な余裕もなく、
病院・かあさんの家等に入る事もできない方々の問題である。
一昔前までは、国(=社会)がそういう方を受け入れていたが、近年見事にそれは
遠い夢物語になってしまった。
こんな社会を誰が望んでいただろうか。
貧しき人に手を差し伸べる優しい社会・人々は何処へ.....。
いいえ、少なからずいらっしゃるのでしょうが、絶対数が少なすぎる様な気がする。
皆、自己の生活を守る、安定な生活を享受する事で精一杯となっている気がしてならない。
Hospiceのある街、この豊橋に全ての困った方に手を差し伸べる街となっているだろうか。
いや、それには程遠いと思われる。
もう一度、全ての人々がHospiceの精神、いや難しい言葉はよしましょう。
「困った方がいたら、そっと手を差し伸べる心(精神)」を思い出し実践しなければならない。
かと言って、偉そうに評論家の様な事を書いている私が本当の優しさを持つに至って
いるかと言うと否である。
私の好きな言葉「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)がありますが、それは生活するに
困らぬ人が吐く言葉で、派遣切りで明日の食に困る方にとり、ふざけた事を言うなと
怒鳴られるであろう。
せめて余裕のある方が「吾唯足知」の精神で社会に少しでもお返しするならば、
本当の幸せに出会えるのかもしれない。