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岡村昭彦が後年 尽力した安曇病院へ

2016.06.19(土曜日)

今、松本市内にいる。

何時降ってもいいような、どんよりとした梅雨空の下、「岡村昭彦」が後年足を運んだ「安曇病院」が、ここ松本市内から1時間の所にある事を知り、そう思ったらカメラを肩に、既に車はそこを目指していた。

奈良井川を左に見ながら国道19号を長野方面へ走らせる。

右側にはJR篠ノ井線の電車が走り、遠くに

くすんだ山々を見ながらの道も捨てたものではない。

30分も走った頃に安曇病院のある池田町を示す県道59号の標識が目に入る。

犀川を渡り、あの岡村がいる安曇病院に向かっていると思うと心が踊る。

その内、”あずみの病院”の道路標識を目にし、大きくハンドルを左に切った。

数分も走らぬ内に”あずみの病院”が建物と建物の間から垣間見える。

心を落ち着ける為か、道路の三叉路に立ち尽くす少女のモニュメントを撮る。

いざ、安曇病院へ。

大きく奇麗な病棟が目の前にある。

「えっ?岡村の安曇病院は何処に」

それは、左の少し奥まった所に、そこだけが古びた当時の面影をしっかりと残し

立っていた。

車を降りて、それに近づく。

何か、撮ってはいけない物を撮っている様な気持ちになり、鼓動が激しい。

それなのにシャッターだけは押し続けられている。

いま、私は岡村昭彦になっている。

忙しく足は病院の裏に回っていた。

シャッターは相変わらずカシャカシャと鳴っている。

病院の側を流れる”高瀬川”の堤に上がり病棟を望む。

岡村が屋上に上がり見たであろう信濃の畝を撮った時、岡村は心底に流れる

”信念の川”を見ていたのだろうか。

建物に戻そう。

それはくすんだ灰色をし、外壁も剥がれている。

先を見上げると”緑十字”と血の色で塗られた様な”安曇病院”の四文字の異様さが

目に残る。

真新しい建物の間に残されたそれは決して気持ちがいい物ではない。

オドロオドロした空気さえも感じる。

岡村が上がったであろう屋上にシャッターを切る。

その下の部屋の奥に岡村が”友だち”と呼んだ患者さんとの憩いの場があるのだろう。

鼓動が激しくなる中で足は古びた館の正面玄関に向かい、手はその取っ手を

回していた。

開けた扉のすぐ向こうにまた扉がある。

右手に売店があるのだが、店員が書物に夢中になっているのを確認してから

忍び足で院内に入った。

シャッターを2回押したところで、あちらこちらに監視カメラがあるのに気付き、

不法侵入者で訴えられるのも辛く、ここで私の旅は終えるのだが、予想外に院内は明るく、激臭を覚悟していた私の鼻孔をも裏切った。

(注:勿論、聞いていた精神科のイメージを良い意味で裏切ってくれて嬉しかったという事です。)

翌日、高瀬川の向こうに ”ちひろ美術館” がある事を知り、次回訪れる時は足を伸ばしたい。

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